日本初のエアガールが誰なのか気になります。最近はドラマ「エアガール」でも登場してましたね。
飛行機の客室乗務員は、CAやスチュワーデスと色々な言い方をされますが、実は日本で最初に飛行機の客室乗務員のことをエアガールと呼んでいました。
となると、日本で初めてエアガール(スチュワーデス)になった女性のことが気になります。
今回は、日本で初めてエアガールになった女性は誰なのか、かわいい画像や名前などを調べてまとめました。
エアガール(スチュワーデス)の語源
エアガールの語源についてサクッとご紹介しておきますね。
まず、「スチュワーデス」という言葉ですが、他にもキャビンアテンダント(CA)とも呼びますね。
日本ではの正規名は「旅客機の客室乗務員」といい、海外での正式名はflight attendant(フライトアテンダント)でFA。または、cabin crew(キャビンクルー)と表現します。
少しややこしい話にはなりましたが、エアガールの語源はこのようなことになっております。
日本初エアガールの名前と画像がかわいい?
日本初のエアガールは、誰なのか気になりますよね。
時は1931年(昭和6年)にまでさかのぼります。
1931年8月25日、羽田に東京飛行場が完成して民間機は羽田に集約されましたが、羽田に移る以前は、東京の立川の軍用飛行場を利用していていました。
こうして、立川の飛行場がエアガールの発祥の地となりました。
懐かしい、大きなキューピーを乳児代わりに女性教官と研修生の様子です。
1931年のはじめに以下の文面で、エアーガールの募集が広告が新聞に掲載されました。
この広告を掲載したのは、東京航空輸送社(後に大日本航空に吸収されました)で日本初のスチュワーデス募集でした。
日本人初のエアガールの画像と名前!退職理由が悲しい
東京航空輸送社から出されたエアガールの求人広告は、物珍しさからか応募者は141人もありました。しかし、採用人数はたった3人。なんという狭き門…
現在でも大手の航空会社の採用試験には、募集人数が500名程度のところに1万人以上の受験生が集まることもありますから、今も昔も相変わらずといったところでしょうか。
採用試験の様子が書かれている新聞によると、1次試験では141人の受験者から10人の候補者に絞られています。まるでアイドル選抜さながら…

で、ファイナリストとなったのは、女学校を卒業予定の18歳と19歳の計3人で、お名前は「本山英子さん」「和田正子さん」「工藤雪江さん」でした。
3人のエアガールは、東京、下田、清水間の定期旅客路線に新卒として採用されました。
飛行機に東京、下田、清水と書かれているので、おそらく下の画像に写っている3人が「本山英子さん」「和田正子さん」「工藤雪江さん」だと思います。
少しアップにしてみましょう。
画像の写りが悪くて良く分かりませんが、遠めでもかわいい感じが伝わってくるような…
ところで、機体の横に乗ってるエアーガールさんは大丈夫なんでしょうか?アイドルの構図になってますけど、海に落ちないのか心配です…
そっか、だから画像が残ってないんですね…普通なら歴史に名が残るはずなのにおかしいと思いました。
なぜ辞めてしまったかというと、給料への不満です。
搭乗したのは狭い水上飛行機で、なおかつお給料も少なかったことが原因でした。
そのため、エアガールの再募集の際には1回の飛行で3円、地上勤務で1円に改定したそうです。3円て…3円は、現在の3000円相当だそうです。

金額はどうあれ、当時のエアガールは、まるでアイドル扱いだったそうです。
マスコミからは「空かける天女たち」とかもてはやされて、乗客にサインを頼まれることも多かったそうです。ってことは、やはり相当かわいかったんでしょうね。昔からスチュワーデスって人気なのね。
スチュワーデスの記念日
エアガールのことを調べていたらスチュワーデスの記念日というのがあったので宮ガールと関係していましたので、付け加えておきます。
スチュワーデス日は3月5日です。
冒頭でもお伝えしましたが1931年(昭和6年)は東京航空輸送社が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された日です。
現在も新卒採用倍率は数十倍は当たり前ですから、スチュワーデスの狭き門は初のエアガールから同じだったようです。
ちなみに、スチュワーデスの制服に憧れてスチュワーデスになりたがる女性も多いらしいです。
こちらは、広瀬すずさん主演の日本版エアガール。
こちらは、海外ドラマ版のエアガール「PAN AM/パンナム」。エアガールのドラマも人気ですね。
今回は、日本で初めてエアガールになった女性は誰なのか、かわいい画像や名前と、スチュワーデスの語源や記念日についてご紹介しました。